2012年12月31日月曜日

12月分活動報告

 すっかり冬になり、布団も3枚、4枚と重ねねば、なかなか寝つけなくなるくらい冷え込んできました。これでも、まだまだ寒くなるらしい。私は極度の寒がりなのですが、まだ寒さの底が来ないうちに着込んでいては真冬のシーズンに凍死するんじゃないかと思って(防寒具を大して持ち込んでないのです…)昼は上2枚、夜は+ちゃんちゃんこでとりあえずは踏みとどまっています。私がいかにもガタガタガタガタ寒そうにいるもんですから、周りからは「痩せ我慢せずに着ればいいじゃん」とも言われるのですが、12月いっぱいはこのまま頑張りたいと思います(苦笑)


昨月スタートさせた「翔学米」ですが、早々と取らぬ狸の皮算用というか、目論見の甘さが露呈する格好となりました(苦笑)お米の販売、実は告知後1週間や2週間そこらで10袋くらいは即売できるんじゃないかと慢心していたのです。しかしながら12月頭の時点では半分の5袋にも達していませんでした。

そういう訳で販売の伸び悩み+社会人とのつながりの浅さ少なさを痛感した私は、まず単純な思い付きから、自分の母校(早稲田)の同好会組織である稲門会に活動をアピールしに行かせてもらうことにしました。
稲門会というのは、企業名+稲門会、地域名+稲門会、サークル名+稲門会などなど…やたら種類と数だけあることだけは知っていて、その内実については全く知り得ていなかったのですが、和歌山県の稲門会については、定期的に懇親の場を設けたり、県内のOBOGが活躍している現場に訪問したりするなど、精力的に活動されているイメージを受けました(失礼ながら、それまではOBのおじいちゃんたちが季節ごとに1回くらい顔見せ程度に開催しているというイメージがありました苦笑)。皆さん、得体のしれない若造の話にも関わらずよくよく耳を傾けてくれました。会の解散後、OG1人には和歌山市内の観光名所を地元のおばさん方と一緒にドライブでざーっと巡っていただくという親切もしていただきました。


また、その稲門会での出会いをきっかけに三重県尾鷲市で行われる紀州熊野応援団というNPOの全国イベントにも参加する運びにもなりました。紀州熊野地域に暮らす人々と全国各地に暮らす人々との懸け橋となり、紀州熊野地域の潜在的資源と全国各地の潜在的需要とを上手くマッチングさせるための活動を展開している団体です。稲門会には5日に出向いたのですが、その3日後に、偶然このイベントが控えていたのです。


 内容としては、前半にメインゲストの増田寛也元総務大臣が基調講演として「地域が今輝くために」と題して、今後の地域づくりのための方向性を示唆する話を1時間。後半は南紀で活躍する事業家の皆さんの活動紹介とそれに対する増田さんの寸評が行われたというような具合でした。司会の方と偶然、お昼をご一緒する機会があったことが伏線となり、後半の質疑応答の時間では「新宮での活動を紹介してください」と私に話がいきなり振られるというハプニング()もありました。200名超の人数がいる会場だったので、緊張しすぎて(私は極度のアガリ症です)しどろもどろにならないように必死で、何を話したかイマイチよく覚えていないのですが、後々聞いたところによれば、内容の質はともかく気概は何とか示せていたようでよかったと思います。

 その後は、会場を移動して、ビュッフェ形式でご馳走を摘まみながら参加者の皆さんと懇談。翌日は同市の早田(「はいだ」と読みます)という漁港で朝一、獲れたての海の幸を昼ご飯がいらなくなるくらい、たらふくいただいた後(下ろしたてのハガツオの刺身は今まで食べてきたものの中でも10指に入るくらい美味しかったです)、早田の区長さんに区の概要と過疎・少子高齢化に対する活動事例をご紹介いただいたのち、若干の意見交換をして、敷屋への帰路につきました。


さてさて、この2つの会合の訪問を通して多くの出会いがあったわけですが、結果、どのようなことが今後生まれてくるかは正直分かりません…(苦笑)一期一会の機会をどれだけ生かしきれたかも分かりません。和歌山市行きの時は会合の後、市内の名所をドライブして巡っていただいたり、尾鷲の方も尾鷲の方で、見方によっては豪華グルメツアー的な様相を呈していたわけで、お前は道楽しに行っとったんかという誹りをある意味受けかねない面はあります…(苦笑)


 ただ一つ直感的に思ったこと。貴重な出会いも多々ありましたし(特に大学のOBOGの方々)、ここから繋がっていくご縁ももちろんあるだろうとは思ったのですが、ただ同時に、多分、人との生きた繋がりって一緒に活動したり知恵を絞ったりするなかで基本的には築かれていくものなんだろうな、と。色々と考えさせられた数日間の飛び込み訪問()でした。


12月といえば真っ先に連想するのはクリスマスですが、クリスマスの3日前にはさやさんの誕生日会がありました。いつもこの手のイベントを統括しているのが彼女であることのみならず、共育学舎人は平素並々ならぬお世話をさやさんから受けているので、皆いつも以上に張り切っていました。男子勢(なおきさんと僕)の役割は料理全般と会場の装飾と、イベントの大部分を任されることになりました。

コンセプト、理想としては「いつもお世話になっている男子勢がこの日一日だけでも会を取り纏めてささやかながら恩返しをする」ということだったのだと思いますが、当日まで、というか当日の予定開催時間をオーバーするまで、てんやわんやでした。かなさん(※夏に中期滞在していた関大を休学中の女性です。11月からまた来てくれていました)がいなければ、どうなっていたことかと思います。そんなこんなで実際の実働率は多分「かなさん4.5:なおきさん4:たさい1.5」くらいで、かつ玄ちゃんの暴走()で式次第に一部狂いが生じもしたのですが、本人には何とか喜んでもらえたようでよかったです。


クリスマス当日は当日で、住人4人でケーキコンペを行うという半ば僕を吊るしあげるために企画されたかのようなイベントもありました(苦笑)24日にまず2人、25日に後の2人というように2日に分けて行われたのですが初日の2人の出来が外装・味共に素晴らしかったので余計プレッシャーがかかりました。あまりの出来レース感に少し憤慨、発奮して、シュトーレンといういかにも高度そうなケーキにチャレンジしようとして大穴を狙おうとしたのですが、全力で制止され、諌められました。しょげました。


結局、21日の誕生日会と同じ製法でケーキを作ることにしたのですが、全部が全部同じではあまりにも癪なのでカスタードクリームを中に仕込んでみることにしました。結果、焼きあがったと思ったケーキの中からカスタードクリームがメルトダウンしてきて、表生地が破られる一歩手前までになり、惨事になりかけるという事態が途中で発生しました。素人はやはり冒険をせずに地道な下積みを重ねていくのが一番なようです…(昔、小学校の担任に「工作」の時間の作品を評して「お前は、アイデアは中々見るもんがあるけど、それを実現する細やかさが如何せん足りんな(苦笑)」と言われたことをふと思い出しました)


とはいえ、この私が一応紛いなりにもケーキなんてもんを作れるようになったことは、成長といえば成長なのでしょうか。味自体は一応差し支えなく「食べれる」レベルで、同日の白浜の忘年会で無事皆さんにお召し上がりいただけました。


日にちは前後しますが、今月頭に就活が始まったようです。私は解禁の日は田んぼの肥になる藁をひたすら裁断するという、どうということもない1日を過ごしていましたが、Twitterの鍵アカウントが増えたり、Facebookで企業ページに「いいね!」を押す友人が、その日を区切りに徐々に増えていって「始まったんだなぁ…」ということをしみじみ感じているところです。私もこのまま普通にいけば、来年同じ立場に立つわけですが、今では、ただでさえガツガツやるつもりのなかったところが、もう全くする気がなくなりました。


就活をはじめ、今の社会は何かがおかしい…。しかし、その思いのあとに「でも…」という二の句を継いでしまっていたのが今までの私でした。それが今は何の抵抗もなく、自然に東京では就活せずに新宮に戻ってきたいなぁと思います。単純に、毎日がカルチャーショックのような生活を送ってきたせいもあろうし、情報の荒波から隔離された環境にあって、結果として世界を傍から落ち着いて見れたということ、自分の頭だけでじっくり物事を考えることができたことなんかも大きいでしょう。休学する以前より、遥かに視野が明瞭になった感がありますし、自分が大切にしたいことも明白になってきた気がします。

 
更に言えば、新宮市には人がいます。これからの時代は自分の身近で出来ることを11人が積み上げていくこと。それも各自が孤立して個々にやるのではなく、誰かと共に協力して積み上げていくことに意味があると私は思います。一人でも頑張れないことはありませんが、一緒に何かをやってくれる手伝ってくれる仲間がいたほうがやれることは大きいし、何よりその方が絶対に楽しいです。その基盤が新宮にはあるし、これから益々拡がっていくでしょう。これも大きな理由の一つであると思います(畢竟、縁ということに尽きるでしょうか)


しかしながら、就活に対する態度はだいぶ定まったものの、「じゃあ卒業して新宮で何をやるのさ」と聞かれると正直言って今の段階ではその答えには窮します。でも、それでもいいと思っています。最近、そう思えるようになりました。今までの自分は狂おしいぐらいに世間体を気にしていた。新宮で百姓になるより、NHKでディレクターとか、朝日で記者をやっていた方が多分よっぽど余所ウケがいいでしょう(親戚なんかは100%そちらの方が喜びます)。見栄からか、保身からか。就活して大企業(私の場合はマスコミ)に入る生き方に疑問を持つ一方で、その「余所ウケ」によっかかりたい自分がいたのもまた事実なのです。

…そんな状態から、以前と比べれば、今はだいぶ距離を置けているように思います。今の状態は確かに格好はつかないですが、それでも気が済むまで考えたい。自分が納得した答えが出せるまで虚勢を張るのはやめようと思います。


もしかしたら市役所や地方新聞のようなところにお世話になるかも分かりません。ただ、現時点では農的な営みは大事にしたいと、割とはっきり思っています。それは農業で食いぶち(=現金収入)を得ていくという意味ではなく、自給的な農業、食べることずばりそのものである農業を大事にして暮らしていきたいという意味で、です。農業を営み、生きる基盤を固めながら暮らしていく過程で、やりたいことが湧いた時点から、ナリワイ的なビジネスや社会貢献に取組めていけたら、とおぼろげながらに考えています。これからまだ右往左往するかも分かりませんが、見守ってやっていただければ幸いです。


 28日の夕方から、帰郷の途に着きました。夜に岐阜の大垣まで行って、「ムーンライトながら」という夜行電車に揺られて帰りました。…千葉に「帰郷」というのも何だか滑稽な感じがしますが、「里帰り」が東京、大阪都市近郊になる人、そういう人が今後は増えていくのでしょうか。少なくとも、都市と田舎の両方に拠点があるのは絶対に悪いことではありませんよね。


実は年末、帰る直前から体調が下降線です。身体は丈夫な方だと自負しているのですが、体調を崩すとしたらいつも年末、それも冬休みに入ってからなのです(気が緩むんでしょうか)。まぁせっかく実家に帰ってきてるんでしっかり養生してから新宮に戻ってきたいと思います。


…今月はこんなところでしょうか。それではまた来月末にお会いしましょう。


来年もよい年になりますように…!

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