2012年10月31日水曜日

10月分活動報告

 今月はアフリカ太鼓の演奏会から始まりました。開演当初、今回のイベントを企画した方々による余興演奏のようなものがあって、それは正直いって肌に合わなかったのですが(ホイッスルがやたらけたたましく、「サンバかよ、こりゃ…」と思うような勢いで、独り蚊帳の外に置かれているような心持がしました)、中盤、山北紀彦さん、早川千晶さんらの演奏が始まってからは、非常にワクワクした一時を過ごすことが出来ました。  その晩早川さん達と話して(話の内容とは直接関係ないのですが)、「自分の好きな音楽や芸術に親しみ、それにちょっとした報酬が得られるというような生活を送れたら素敵だよなぁ」ということを漠然とながら考えました(誕生日や送別の際に、何か一曲歌うことがここに来てからなぜだか定番化してしまったのも伏線にあるのかな)。


  唐突に響くかもしれませんが、音楽等の芸術活動って、ナリワイと実に親和性の高い活動だと僕は思います。いや、「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事」をナリワイと呼び、自分も他人も健康にするような要素があれば尚よし、とするのであれば、芸術活動ほどその定義に適したナリワイはないのではないかと思います。 音楽や画描き一本でこそ、食っていくのは大変でしょう。そうした経済的な事情を背景に、芸術の道を断念した、という人は日本内外を問わずかなりいるのではないかと思います。そうした人に三枝3K(農業)×ナリワイ×芸術活動は新たな生き方を示せるのではないでしょうか(音楽や美術に自分の全神経を没入させられなきゃ嫌だという根っからの芸術家は別として)。ある程度素養がある人であれば、奇抜なアイデアを用いずとも素敵なナリワイを創ることが可能だと思います。


  僕は「耕すシェフ」よりは「耕すオーケストラ」とか「耕すバンド」、「耕す劇団」、「耕すアトリエ」を新宮に導入してほしいし、導入したいと個人的には思います(笑)。…話が逸れました。まぁ、私の戯言はさておき、月の初めから本当に素敵な出会いが出来たと思います。早川さんは自身が活動する「キベラスラム」の子どもたちを来年日本に連れて来た時、ぜひ共育学舎に連れてきたいとおっしゃっていましたが、そういう方面での繋がりも今後楽しみなところです。 アフリカ太鼓の演奏会の直後には、以前パンのワークショップにいらした方で、現在はインドネシアのロンボク島に嫁いで生活を送っている方が旦那さん(インドネシア人)といらして、10月第1週はちょっとした国際週間になりました。


  その後、待ちに待った中野さんの罠講習がありました。半日かけてくくり罠を設置する前の下準備、かけ方、かける際の諸注意などをじっくり中野さんに教えていただきました。で、実際に3か所ほどに罠を仕掛けたのですが、それから2日後だったと思います。すぐに雄鹿がかかりました。物見の柴田さんからは小鹿と聞いていたのですが、実際はそれなりの大きさの鹿で、ちょっとばかし戸惑いました。その後、3人がかりで鹿を仕留めて、前日に中野さんに実演してもらった鹿のさばき方を実演してみたのですが(特に田斉は)如何せん上手くいきませんでした。罠の掛け方にしろ、仕留め方にしろ、獲物のさばき方にしろ、慣れるにはそれなりの場数が必要だろうな、と痛感した次第です。


  また、実際に鹿を殺めてみての感想ですが、槍を突く前よりも突いた後。鹿の目に光がなくなってぐだぁーっとなって、でも温もりはまだ残っているという、そういう姿を改めてまじまじと見つめたときの方が足が竦みました。畜産にしろジビエにしろ、屠殺という行為を通らずして、流通した美味しいお肉をいただける環境は、私のような都会人にとっては非常にありがたいものではありますが、そこには手間以上にもっと重要なものが省かれてしまっているのだな、と思います。


  命を取るその瞬間の精神的な負荷もそうですが(負荷という言い方が適当かどうかは分かりません)、実際に臓器を取り除いて、皮をはいで、肉を卸すという作業も非常に骨が折れるものです。本来は、獣肉をいただくにはこれだけの過程が必要なんだな、とつくづく感じいるものがありました。まぁ、ただ実際問題は、全員が全員、畜産や狩猟の営みに携わる余地はないけれど、それでも、どうしても「肉食べたい…!」と思ってしまうのが、人間の性です。そうして、他人が卸したお肉をいただくからには、相応の代価を払って、産者の影の苦労、獣の命に感謝してそれをいただくというのが筋というものなのでしょう。今までの人間と自然の調和(例えば過大消費の抑制)は、そういう一種の倫理の存在があったからこそ保たれていたという面があると思います(あくまで一面に過ぎないとも思いますが)しかし、ある一線を越えると、どうにもそういう訳にはいかなくなる。


  ただ、儲かるからといって生産者の側から消費者に、都市にアプローチする→需要をたき付け、需要が拡大する→需要に合わせて生産を拡大する、あるいは新規参入する生産者が増える→生産者同士での競争が生まれる。…こうなると、生産者にとっては肉を食べるというのがある意味当然の行為となるし、その選択は、安いか旨いかという皮相的な次元にとどまることになるでしょう。倫理観は価格とともに崩壊することになる。生産者にしてみても需要に合わして生産・販売を推し進めようと思ったら、殺生するたびに後ろめたい気持ちに捉われていてはやってられなくなるし、そもそも一々の手作業では立ち行かなくなるでしょう。


  吉牛や松屋で私たちは今、400円そこらで牛丼をありつける環境にいるわけですが、そこで命をいただいているという自覚を持って食べている人なんてただの1人もいないでしょう。その供されている肉にしても、ぎゅうぎゅうの畜舎に動く余地がないくらい、所せましと押し込められ、高濃度の農薬で栽培した小麦や遺伝子組み換えのデントコーンが混合された飼料をたらふく食らい、文字通り機械的に殺され、卸された…そんな肉である可能性があるわけです。そこに命に対する尊厳が介在する余地なんて微塵もありません。 こんなことをつらつら書き連ねていると、いわゆる菜食主義者や市民活動家でなくても、食欲が失せてきます。


  今年は獣害関連で国レベルで大きな動きが見られた年でした。5月にはジビエ料理の巷への普及を目指した「ジビエ振興協議会」が設立され、6月末にはそれを後押しするかのように「改正鳥獣被害防止特措法」という法律が議員立法で施行されました。ただ、このようにトップダウン式で「ジビエ」推進がなされるのは、個人的にはあまり面白いことではないな、と思います。  「ジビエ」産業は今までニッチで細々とした市場、商売でした。ジビエはニッチで有り続けてこそジビエ、派手に宣伝せずじわりじわりと需要を拡げて行くこと、ニッチにあえて留まり続けることこそがジビエ戦略だ、と個人的には思うのですが、業界の連合組織があるわけでもないし、合法カルテルというものがない日本で、そのような同意形成を目指すのは相当に難しい。結局は、これから自ら積極果敢に潜在的な顧客に売り込んでいく、という所が殆どになるのだろうな、と思います。ただ、その売り込み方はよっぽど考えてやらねばならないでしょう。販売形式にしても、です。(市場規模こそ畜産ほど膨らむ余地はないとはいえ)下手をすれば、先に述べた畜産業の錯踏と同じ道を辿ることになりかねないからです。


  実は今、中野さん、柴田さん、しみーさんが中心になってジビエの商品開発、流通に留まらず、ハンター育成等も盛り込んで地域活性化を行っていこうという「ジビエ本宮」を手掛けようとしています。その「ジビエ本宮」の運営に関しては全く心配していないのですが、問題は他業者です。仮に業者がそれなりの数参入して、更に安易な安売りに走る輩が現れたとして、それに引きずられず、どういった形で差別化を図り、安定した経営を守っていくか、ということを予め考えておくことは極めて重要でしょう。 その差別化の手段、方向性をどうするかは、お3方に任せるとして、僕は事前に考えうる対応策を(まぁ僕なんかが言うまでもないことかも分かりませんが)ちょっとだけ述べておくこととします。


  一つは都市部だけでなく、生産地の足元にある程度、消費の基盤を築いておくことです。

  新宮・本宮はあまりジビエを有難がる人がいないといいます。また、草創期にあってはやはり都市部に売り込むのが一番手っ取り早いという結論になるのかな、と思います。最初はそれでも仕方ない。ただ、長い目で見れば、生産地にある程度消費の基盤を築いていくことは決定的に重要となるでしょう。先に述べた将来的な競争が起こるとしたら、それは絶対に都市部でのパイを巡るものであって、他の生産地、他地方にまでに進出してくるほどの「ジビエメジャー」が登場することはジビエという産業の性質から現れることは想定しにくいと思います。となると、ナリワイとして何とか成り立たせられるくらいの需要を新宮・本宮で開拓しておいて、+αを都会で稼いでくるという有り方が望ましい。都会で売れなくてもまぁいいやというぐらいの体制を築いておくことが望ましいということになります。個人的には(顔の見えないマスに向けて売るというやり方に限っての話ですが)都会に売るのはあくまで地方の消費基盤が整うまでの暫定的なものとし、最終的には地産地消で成り立つくらいに持っていくのが理想だと思っています。漁業とか狩猟のような、収量が不明瞭で且つ生ものを扱う営み(また、命を巡るやりとりが絡む営み)は本来ならば小中規模、兼業、地方志向、生産者ペースでやるべきものであるということは(当たり前のことではありますが)よくよく自覚せねばならないでしょう  


  また、屠殺ワークショップも一つの鍵となりうるのではないでしょうか。

  屠殺ワークショップはPR手段としてある程度有効であったり、それ自体をナリワイに出来たりと期待できること尽くしですが、その中でも理解ある顧客、コアとなる消費者を育てることに繋がりうるということが大切だと思います。 ワークショップ、屠殺体験のようなことは複数の団体が考えるだろうし、既に行っているところもあるかも分かりませんが、どのような狙いで、どのような内容で行うかによって、効果は少なからず変わるものと思われます。


  …ちょっと書き過ぎたかもわかりませんが、狩猟を巡っては色々と考えさせられた月でした。  大工仕事が今月から始まりました。去年の水害で、お亡くなりになられた方の住居を三枝さんが買い取られたのですが、そこがそれなりに改修を要する家であったためです。数か月ぶりに自分の不器用ネタを綴ることとなりますが、私は中学の時分、家庭科同様、技術科に関しても全くもって無能でした。中でも生まれて初めて通知帳にCを付けられたのが技術科であります。まぁ、詰まる所、私に自活する能力は今まで全くもって皆無だった訳で、今回休学しなかったら本当にどうなっていたことかと思います(苦笑)。更に同じ4月に共育学舎に来た-何だかんだでこの報告書では初めての紹介になるでしょうか-元宮大工の直紀さんがいて、この不器っちょにもかなり丁寧に教えてくださるので、凄く助かっています(多分、共育学舎人では一番ビギナーに優しいです)。人の家を手掛けるという緊張感はありますし、親指を玄翁で粉砕するというアクシデントなんかもあったりしました。ただ、そんな中でも、結構楽しんで取組ませていただいています。今まで全く不向きだと思っていて、事実苦手意識もあり、好きでもなかったことを満更でもなく嬉々としてやっているのは何だか不思議な感があります


   それと米づくりが完結したことを受けて、近所の佐々木さんの耕作放棄地(?)を借り受ける形で畑も営み始めました。今までお米に集中しすぎていて、気が回りませんでしたが、「1年の地方生活のサイクル・リズムを体験する」という観点からしたら、ちょっと大変でも4月から自前でお借りして畑もやったほうがよかったかな、と畝作りをしながらちょっと後悔したりもしています(さやさん・ゆきさんのお手伝いでちょっとはカバーできているだろうということで、今はまぁいいかな、と思ってはいますが)。 今から育てるのは、ホウレンソウ、なばな、しろ菜と、コウサイタイという中国の野菜です。ホウレンソウ、しろ菜は大好物の野菜なので、これらが僕にとって初めて栽培する野菜になったのは非常にうれしいことです。また、こうした葉茎類は初心者にとって最も取り組みやすい(つまり簡単な)野菜であるということなので、そういう面でもよかったかなぁと思います。月並みなコメントですが、収穫が楽しみです。  …今月はこんなところでしょうか。それではまた来月末にお会いしましょう。