2012年8月31日金曜日

8月分活動報告

 今月はキャンプが生活の大半を占めた一月でした。どういうキャンプかというと、ここ旧西敷屋小学校を生活の場として、小中学生を受け入れるというものです。このキャンプは学校の例年行事らしいですが、今年に関しては去年の大水害のことを鑑みて中止の方向で考えられていました。いざというときの適切な避難場所が学校周辺にないためです。事実、結局のところ表立った告知・募集は行われませんでした。しかし、リピーターの子ども側から先んじてキャンプに参加したいという要望があり、日にちを限定して今年も開催される運びになりました。参加したのは、新宮市に元々住んでいて今は和歌山市に引っ越している姉妹と、兵庫県の姉弟の2ペアに加えて地元の子2人の計8人です。  キャンプ期間中、色々な出来事がありましたが、その中でも特に印象に残ったのが盆踊りの屋台出店と高校生が来校したことの2つです。


  まず、盆踊りの出店(とそれに伴う前日準備)について。この経験は大人の私にとってもだいぶ考えるところがありました。大人が一から十までお膳立てした上で子どもにお店の手伝いをしてもらうという形式ではなく、あくまで主体は子どもで資金繰りをどうするのというところから話は進められました。「どうすれば利益が出るか分かる?赤字ってどういうこと?」「そもそも材料を買うお金をどうするの?社会では無償で貸してもらえるっていうケースは少なくて、銀行から融資を受けるか、投資家に投資してもらうか。…いずれにしてもリスクや手間がかかることなんだよ」などなど、大人連からは次々と現実的な問いが投げかけられていました。「こんなにイジメて大丈夫かな…」と内心思いながら見守っていましたが、子どもたちは案外たくましかった。首をひねりつつも、屋台を出店して稼ぐまでの仕組みをしっかり理解し、実際の計画立案に生かせていました(資金についても、結局、偶然そこに居合わせた慈善事業家(?)の宮永さんから子どもたち全体で20000円の無償借款をうけることができました)


  子どもグループは最終的に2つに分かれて、1グループはかき氷、1グループはたこ焼きという構成でした。自前で出店する人を除いて、大人は各グループのアドバイザーに着任しました(ちなみに私はたこ焼き班でした)。子どもたちは小遣い稼ぎがかかっていますから、それなりに真剣に計画建てに参加していましたし、大人の方も請われたわけでもないのにかなりガチンコで取り組んだので、子どもグループ2つについてはかなり盤石な準備が出来ていたように思います。当日は天候がだいぶ危ぶまれていたのですが、夕方にはすっかり晴れ間が差し、無事屋外で出店することが出来ました。結果としては子ども店舗は、かき氷がダントツの独り勝ちで、たこ焼きも黒字を計上することができました。大人勢がこぞって苦戦したのとは対照的に、焼き鳥屋に参加した子以外の子ども全員に小遣いが配当される形になり、非常によかったと思います。  思うに屋台というのは商売の原点です。立派な起業です。起業というと今まで僕はITベンチャーのようなものばかりを想像していました。何時しか、大学で「起業する。カフェをやる」と言った友達を笑ってしまったこともあります。でも、それは根本的な間違いでした。 起業と聞いて、年商数千万、一億ぐらいは叩き出せて、社員がいて、ちゃんと法人格を持った会社を設立する…そんな狭くあやふやな概念でしか起業を捉えられなくなってしまったのは何時ぐらいからだったでしょう。辞書で「起業」という字を引いてみると「新しく事業を起こすこと」というぐらいにしか書かれていません。


  規模がどんなに小さくても、体系的、恒常的な組織でなくても、起業と呼びうるものは五万とある。原価計算や簿記のやりくりの仕方、効率のよい売り方、店じまいの煩雑さ…屋台という一つの商売、起業がどのような準備、実践の元で成り立っているか試行錯誤しながら学んでいる子どもたちを見てそんなことに気づかされました。そういえば、共育学舎で同居している先輩の1人が県の制度を使って今、起業の準備を進めていますが、その起業も今まで私が想定していた狭い起業の概念からはちょっとはみでた性質のものです。ですが、都市圏でよくあるスマートフォンのニッチなアプリ開発で小銭を稼ぐような起業と比べて遥かに意義がある起業だと思っています。


  今まで、学校を出て社会に出る選択肢は就職か起業か、この2つに1つくらいしかないと一般的には考えられていました。就職はデスロード。とはいえ起業も限られた人にしか出来る行動ではない…そんなことを思いこんでいる人がいるとすれば、その人にとってこの世は本当の地獄です。 しかしながら、起業の概念を広く考えること、あるいは起業と一くくりにされているものの内実をよくよく整理するということを通して、その固定観念は変えられるかもしれません。私自身は並河さんや柴田さん、三枝さんや伊藤さんとの出会いを通して、第3、第4の道が実際にあることに気付きましたが、見方を変えれば、彼らがやってきたことの殆どは「起業」といって差し支えないのではないだろうかと思います(三枝さんが若いころに実践していた「働かない」という生き方はこれとはまた別のものですけど)。


  高校生がやってきたのは、キャンプ期間の中盤だったでしょうか。名古屋のミッション系の女子高生2人がボランティアとしてやってきました。 「Re-Hi」という関西圏の大学生が主体になって運営している団体があります。去年の水害の際にこちらでボランティアとしてやって来て、その後も熊野川との縁を大切にしたいということで毎月旧熊野川町をフィールドに活動しています。


  今回、高校生2人はこの団体に乗っかってやってきました(だから、キャンプとは直接の関係はありません)。高2の子が県外のボランティア活動に行ってみようかなんてなぜ思い立ったのでしょう。そもそも「Re-Hi」という(少なくとも僕の理解では)とてもじゃないけど著名とは言い難い団体をどうやって見つけてきたのでしょうか。子ども以上に数多く、また目まぐるしく大学生、大人の入れ替わりがあった一月だったので、ついつい彼女たちとは特別に話すこともなく別れたのですが、今、思えば惜しいことをしました※。


  ※三枝さんの突拍子もない気まぐれ(?)から、キャンプ半ばから、学校に滞在していた大学生で輪番で子ども向きの授業をすることになりました。私はちょうど彼女らのいる期間に担当になりそうだったので、(しかも、2人のうち1人は考古学に、もう1人も歴史学に興味があって進学を迷っているということだったので)けっこう気合いを入れて授業を仕込んだのですが、その日以降けっこうてんやわんやの毎日が続き、結局立ち消えになってしまったということもありました。それも心残りといえば心残りです。  東北にボランティアに参加している高校生が少なからずいるということは話には聞いていました。しかし、ああして実際に眼前にボランティアをしにきている学生が現れたということは私にとってみればちょっとした事件でした。


  私が彼女くらいの時分にも「岩手・宮城内陸地震」というそれなりに大きな災害がありました。ただ、私の周りには、この災害に際して、当時東北に行ったという同学年は(多分ですが)一人もいませんでした。去年の東日本大震災まで、日本国内で、あるいはどこか海外で、災害が起こっていても、私はどこかそれを他人事のようにそれらを捉えていた面がありました。無論、悲惨な現地の映像などを見て、心を沈ませたことは幾度もありました。しかし、あくまで私にとっての災害はそれ以上のものでも、それ以下のものでもありませんでした。


  東日本大震災が起こって、私は生まれて初めて今までと違う行動をとりました。実際に現地(気仙沼)に行ってみたのです。


  単純に今までの災害とは、規模も受けた衝撃の度合いも桁違いということもあったでしょう。また、自然災害だけでなく原発事故も併発し、ある意味自分たちもその渦中にいた、被災していたということもあるでしょう。色々な理由が絡みに絡んでいるとは思いますが、兎に角、災害発生から数週間経っても、数か月経っても、一向に今回の災害のことは頭から抜けませんでした。不謹慎かも分かりませんが、現地で何が起こっているのかこの目で見てみたいという興味のようなものも沸々と湧いてきました。だから、実際に行ってみました。高校生たちも私と似たような次元で、この震災を受け止めたということなのでしょうか。


  私の見立てでは、彼女たちはごくごく普通の高校生でした。飛び抜けた英才でもなければ、奇人変人の気もありませんでした。


  少数の例で全体を判断するということはあまり好きではないのですが(総名○○人の高校生がボランティアに参加した…というような統計的な史料を見たわけでもないので)、もし仮に3.11が、高校生あるいは中学生がひょいと地元内外のボランティアに出かけていく、そのハードルを下げたのだとすれば。そして、コレを契機に中高生のボランティア(やそこから派生した学校外での活動)がごくごく当たり前の現象になったとしたら…。果たして、これはどのような意味を持つのでしょう。もし、そんなことが現に起こりつつあるとすれば非常に面白い潮流が起こるなと感じています。


  特別心に残った出来事は以上の2つですが、その他にもたくさんの細々とした出来事がありました。大富豪(トランプゲーム)や鬼ごっこ、川遊び、プール遊びとエネルギッシュな子どもたちにだいぶ振り回されて疲れはしたのですが、精神的にはとても充足した素晴らしいキャンプだったと思います。


  キャンプ以外のことで言えば、狩猟免許の資格に挑んだり、地方行政の現状の一端を垣間見て思うことがあったり、翔学米関連で進展があったりしたのですが、これらについては(全て触れられるかは分かりませんが)字数の関係上来月分に回すことにしたいと思います。


  …今月はこんなところでしょうか。それではまた来月末にお会いしましょう。