2012年5月31日木曜日

5月分活動報告

 生まれてこの方20年、初めて頭にバリカンをいれてもらいました。例年の5月であれば雑草性の花粉に苛まれ、鬱々とした毎日を送っているところなのですが、頭をサッパリさせた恩恵でしょうか。それほど大きく体調を崩すことなく乗り切れた感があります。さて、敷屋での生活を初めて二カ月が経ったわけですが、早々に実感したことがあります。それは、現段階では私は全くもって田舎暮らしに向いていない人間である(!)ということです。というのも、私の身体脳力は絶望的に低いようなのです。 身体「脳」力というのは誤字ではありません。一般に言う、学校のスポーツテストなどで測れる身体能力であれば、高いとは言えませんが人並み程度には備わっていると思いたい。じゃあ身体脳力って何なんだよ!?という話になりますよね。コレは「場面場面の状況に応じて実際に身体を駆使するための経験知、能力が脳髄にどれだけ染み込んでいるか」、その力を表す私の造語です(既存の語で、何か他に適切な言葉があれば教えてください!)。


    例えば、ここに鍬があるとします。この鍬を用いるのに、今までの私は掘る力の強弱をつけるぐらいのことしか出来ませんでした。畝の土を寄せたい、あるいは雑草を取るために土の表面をさらいたいという時に、要領を得た使い方が私には出来ない。というより、分からない。また、強く掘るにしても本当に効率のよい力の入れ方や身体に負荷がかからない力の入れ方が出来ないわけです。道具をうまく使いこなせていないということは、詰まる所、自分の体をうまく使いこなせていないということ。鍬を使うときに、私の意識に上がるのは精々二の腕くらいなものでした。二の腕に隣接する肘、その先にある指先、はたまた膝や足先のことなんて一々意識したことなんて今までなかった。

  そんな自分の身体の動かし方はふと気づいてみれば実にぎこちない。「人間には無数の関節があるのに、それを使いこなせないのはロボットと同じだ」と言われた時の衝撃は相当なものでしたが、そう言われてしまうのも無理はありませんでした。 こうした卑下(?)は多少の誇張の嫌いはあります。いくら間抜けな私でも、自分の能力の範囲でその都度その都度、場面に応じた身体の使い方はしてきたつもりですから。しかしながら、それでも、いざこちらで他人に指摘されたり、他人の使い方と自分の使い方を比較したりしてみると、その能力の範囲の狭さには本当に愕然とせざるをえませんでした。「びす」って何?「ばんせん」って何?という具合で、知識的な面でのキャパシティも元々低いのですが、それなりの経験さえ積んできていれば、もっと想像力を働かせて臨めているのだろうなと初見の道具に接するたびに虚しくなります。

  山の学校の用務員の三枝さん(どうご紹介するか悩ましい方ですが、とりあえずご自身の常日頃の自称に従っておきます)は「今まで(そういう方面での)頭を使ったことがないんだから仕方ない。まだ20代だからこれからのリハビリ、心がけ次第で人並みになるだろう」と言ってくれてはいるのですが、いかんせん先行きは見えません。20年も頭を塩づけしてきたツケの重さを毎日身にしみて感じています。


   ただし!これをもって、滞在2カ月弱ぽっちで早々に田舎生活にを投げたと捉えてもらっては困ります。頭の文に「現段階では」という一節をつけたのもその予防線。私としては、どんなに才能がなかろうと、努力さえすればいつかは一定の力がつく…と信じたい(苦笑)それに、へこむことの連続では確かにあるのですが、それだけではなく、試行錯誤の過程に遣り甲斐というか一種の楽しみを見出している自分がいることもまた確かです。幸い、三枝さんをはじめ、皆さん半ば呆れているでしょうが、それでも辛抱強く色々と教えてくださっています。私としても、1年後の更生(?)を信じて、めげずに頑張っていきたいです。


  ここで、自分の「不器用さ」の話をしたついでに「職業」について話しておきたい。ちょっと唐突に響くかもしれませんが、この私の「不器用さ」は今の社会における職業の在り方、人々の働き方と密接に関わりがあると思うのです。まず、話をするための下準備として、かなり荒っぽくではありますが、職業の歴史というものを概述したいと思います。


  遥か昔-どのくらいの時を遡ればいいか、てんで見当もつきませんが-個々人が食糧の生産から、自分の身ぐるみの調達まで、何から何まで全て自前でやっていた…そんな時代があったはずです。それが、段々日々の生活が煩雑になってきたか、集団内で階層が現れた関係か、まぁどうにかして、今まで自分がやってきたことをよそ様に任せるという事態が起こってくる。都市の成立や貨幣経済の浸透とともに、そのよそ様任せは職業として成立していき、次第に人々は職に携わることで食いぶちを得て暮らしていくということが恒常化していく。今では長年の変遷を経て、めまぐるしい数の職業が現出するに至っています。


  これがいったい何を意味するか?一般的に、一つの職業が成り立つということは、何かしらの形で人の手間が省かれるということです。こう書くと聞こえはいいですが、手間が省かれるということを別の観点から捉えなおせば、それは他者への依存を深めるということです。更に言い換えれば、何かしらの職業に頼れば頼るほど人は自分だけでできることが少なくなる、片輪者になっていくということです。昔のように分業が緩やかで、また各自が副業として色々なことに携わっていた時代ならまだよかったでしょう。しかし、時代は人一人に対し職業も一つという専業化の時代です。一つの職で食っていくには人より一歩、二歩抜きん出た技能が必要となりますから、それ以外のことに一々手を出すわけにはいかなくなる。どうしても各自の努力は専門分野の習熟に割かれることになる。こうして人の片輪化は止めどなく進んでいくこととなります。 実はこの「片輪」問題、漠然とではありますが、去年、ずっと私が考えてきたテーマでした。

   原発事故や沖縄の基地問題などを契機として、初めて真剣に中央集権の問題について考えるようになり、自分が生活する都市部の繁栄は地方にエネルギー、国防、食糧生産など、一切の面倒事を押しつけることで初めて成り立っていることを痛感するようになったのですが、それからほどなくして、都市で生活している自分はその環境にものの見事に順応している、ものの見事に片輪に育ってしまっているということにも気づきました。同時に物凄く情けなくなりました。

 人間の基本である衣食住において自分は一体どれほどのことをなしうるんだろう…、今この状態で就職なんてしたら、自分のこの不甲斐なさは一生涯に渡って決定づけられてしまうんじゃないか…、一時期ずっとそんなことを考えていました。こうして自分の不甲斐なさを巡ってアレコレしたことが、今回Think Shinguに応募する遠因にもなったと思います。


  もっとも、片輪という言い回しは一面的であり、それに対する情けないという私の思いは極めて普遍性を欠いたものかもしれない…とも感じていました。「片輪者」を肯定的に言いなおせば「専門家」です。ある一つの分野における自身の能力を一生涯に渡って研ぎ澄ましていくということは、それはそれで大いに価値のあること。私自身は方輪状態から抜け出したいと強く願うようになっていたのですが、社会全体の課題として考えた場合はどうなのか。客観的にこの現象を捉えた場合、これは果たして手を入れるべき事態なのかどうかは正直なところはっきりせずにいました(自分がしたいという思いだけで十分といえば十分なんですけどね)。ただ、ここ西敷屋に来て、脱片輪は今後の日本社会を占ううえで実はすごく重要な要素なんじゃないかな、と改めて感じ始めています。


  司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」がNHKでドラマ化された際に、これに絡めて、ジャーナリストの田原総一郎さんが「日本はこれからまだ坂の上の雲に向かって邁進すべきか、同じ場所に留まり続けるべきか、それとも坂をそろそろ下るべきか」という議論を興したことがありました。私はこの3択であれば下る派なのですが(下る派と一口に言っても、理由から程度まで色々あり、私も本来ならその辺のところを語るべきなのでしょうが、本筋から逸れるので割愛します)、そのためのアプローチとして人間が本来兼ね備えている全体性を取り戻すように努力することは一つのキーになりうるような気がするのです。今現在の分業の様相、地方と都市の関係は経済成長を志向する上では非常に合理的なシステムになっていると思います。

  合理的、というよりは経済成長とこうした要素は切っては離せない関係にあると言ったほうがいいかもしれません。とすると、無数の分業や都市一極集中の根本の原因となっている「片輪」を各自が解消するように努めれば、行き過ぎた成長志向・競走志向を是正して、程よい経済の着地点を見いだすことにつながっていくのではないか。…今はまだ「感じ始めている」という程度ですから、こんな単純でふわふわした物言いしか出来ないのですが、もう少し自分なりに突き詰めて考えていきたい主題です。


   ここでの生活では一々小難しいことは考えないように努めてはいるのですが、自分の今後の生き方、それに直結する社会のことについてはどうしても色々と思いを馳せざるをえません。今後も似たような話題(人によっては本当にどうでもいい話題でしょうが…)について断続的に書いていくことになると思いますが、どうかお付き合い願いたいと思います。


  実はこの活動報告書、6月の下旬に差し掛かる頃に書いています(苦笑)。梅雨だから、じっくり腰を落ち着けて執筆に取り組める日があるだろうと思っていたのですが、予想に反して外の作業が出来る中途半端な天候が続いたため、今日にいたるまで引きずってしまいました。ですから、もう5月と6月の境があやふやになり始めて、報告内容も具体的な活動の報告というよりはいかんせん抽象的なことが中心になってしまった感があります。6月分(これから7月までに間に合うように書きます!)に関しては余裕をもって書き上げられればいいのですが…。


  …今月はこんなところでしょうか。それではまた来月末にお会いしましょう。