2012年9月30日日曜日

9月分活動報告

 まず、先月触れた狩猟免許の件について。8月に試験を受け、今月初めに「狩猟免許(わな)の取得」をめでたく取得することが出来ました。「なんで!?」と思われる方もいるかもしれません。何てことはありません。動機の大半は「大学生で猟師って肩書あったら…いいな」という単なるミーハー精神です(苦笑)(もっとも、一部には自分の田んぼや集落周りの獣害対策に一役買えたらという思いも少しはありましたが)。中野さんという、西敷屋のすぐそこの本宮町大津荷にお住まいの凄腕の猟師がいらっしゃいます。その方が、日頃、柴田さんをはじめとする若者によくしてくださる。


  猟の仕方を彼にならって、あわよくば、そこからビジネス、ナリワイに繋げられないか、と。そういうことで狩猟免許を取ろうとしていた柴田さんに便乗する形で僕も免許獲得を目指す流れに先月なったわけです。試験の申請用紙の生年月日の記入欄に大正と昭和の年号しか印刷されておらず、平成がなかったのにはビックリしました(苦笑) 試験は当初のビクビクとは裏腹に、あっけなく突破できました。試験に先立って、講習を受けたり、自習をしたりもしたのですが、それらは狩猟の実践には殆ど役に立つものではありませんでした。中野さんのわな教室を楽しみに待ちたいと思います。


  今月末にはこれまた柴田さんに便乗する形で、岡山・島根・大阪に先進地ツアーに行ってまいりました。毎日が充実していたのですが、特に最初の3日間は圧巻でした。


  1日目に訪れたのは、岡山県美作市の「上山集楽」(「楽」は誤変換ではありません)です。「津山たかくら塾」という地域づくりの担い手を育成しようという事業があり、その事業に山崎さん(通称まっしゃー)という「共育学舎」に縁がある方が参加されていました。普段は名前の通り岡山県津山市の高倉という地域がメインなのですが、今回の講師が「上山集楽」の西口和雄さんだったということで、現地の視察がてら、そこで講義を行おうということになっていました。その日程と僕らの視察のスケジュールがちょうどマッチングしたので同行したという訳です。 実はこの「上山集楽」を僕は以前から知っていました。私の大学の先生が発行しているメルマガで「上山集楽」について書かれた『愛だ!上山棚田団-限界集落なんて言わせない!』という本の書評が掲載されていたからです。ですから、今回の視察はひときわ楽しみでした。


  「上山集楽」は集落の棚田、耕作放棄地の再生事業を中心に多角的に事業を仕掛けている団体なのですが、まずその棚田再生事業が凄い!そもそもの「上山集楽」の起こりは、竹藪、蔦に覆われたかつての上山棚田の壮観を知ったかっちさんとその仲間たちが、棚田の再生を夢見、決心したことにあるのですが、その規模はというと何と田んぼ8300枚!! その棚田群の再生を2007年から彼らは手掛けてきたわけですが、現時点で林藪はほぼ一掃。実際に耕作している面積こそ、まだ全盛期とはほど遠いとはいえ、それでも収穫量1トンを超えるまでに耕地化が進んでいます。


 竹林、藪に覆われたかつての千枚田から、絶望ではなく「これを再生できたら、なんて素敵だろうか」希望を見出した。そして、それから余所者&馬鹿者が次々と集まって耕地の再生を始めた、という非常にポジティブで魅力的な原点が「上山集楽」にはあります。そこから展開され続ける事業・ストーリーも、このイメージに沿った、上山が限界集落であることを忘れさせるような非常に前向きで明るい色彩が貫かれています。「集楽」というブランドの創出、発展に見事成功しているといえるでしょう。だからこそ、人が集まり、意図せぬ化学反応が次々と進み、膨大なエネルギーが生じ、今、並々ならぬ注目が注がれるに至っているのだと思います。


  そして、また、棚田再生以外の事業もすごいのです。例えば、今、上山の全戸にiPadが備え付けられています。(詳細な理由は忘れましたが、過疎地の先進利用事例かなんかとして)Appleにタダでもらったそうです。「上山集楽」のメンバーは常にFacebookで情報発信を行っているので、地元のおじいちゃんおばあちゃんらは彼らが何をしているか常に目にすることができるし、コンタクトを取ることもできます。また、上山にはセグウェイがあります。これも、タダで入手したもので、関西圏のセグウェイの委託販売を行いがてら、田舎からセグウェイの導入モデルをアピールしていく狙いがあるそうです(当初の予想より、かなり実用的で楽しい乗り物でした)。  「楽しいことは正しいことだと思ってやっている」とかっちさんは言います。一面の真理を突いていると思う。また、「上山集楽」が手掛けている事業を見ていると、「楽しいことは正しいこと」このスタンスにたってこそ見えてくる風景もあるんだなぁとも思います。


  例えば高齢者の安否確認をどうしよう、Iターン者と地元民の交流をどうしよう。どうしよう、どうしようといくら悩んでも、iPadをアップルからもらって全戸に配るという発想には至らないでしょう。過疎交通→セグウェイにしても同様のことです。「生真面目に問題をどうしようどうしよう」と思うのではなく、「こんなことあったら素敵やん」という発想で物事を考えるということは見習うべき点が多いかと思います。


  また、「交易」という考え・観点も非常に面白いな、と思いました。「上山集楽」は、持続可能な社会を創ることを目標に掲げているとはいえ、「自給」を原理主義的には考えていません。食糧やエネルギーなど生活の根本となるような分野に関しては、やはり相当力を入れてこれを自給しようと努めています。しかし、他の分野に関しては都市と田舎と、双方でない資源を補完しながら対等な立場で交易することでカバーしようとしている。例えば、医療に特化した自治体と協力協定を結ぶなどといったことです。これも、「楽しいことは正しい」のスタンスだからこそなせる技でしょうか。


  事業展開のスピード感、事業自体のユニークさ、これらを総括する「集楽」のブランディングが功を奏して脚光を浴びている格好となっている「上山集楽」。恐らく、これからメディア露出も相当多くなるであろう予感がします。かっちさんのいう「縁脈」が今、「上山集楽」では大爆発している状態にあり、同地がどういう進化を遂げていくかは全く見通しが立ちません。ただ、1年後、2年後、3年後、良くも悪くもますます注目を浴びていく地域になるだろうな、と直感的に思いました。地域おこし協力隊として、活動している現役の大学生もいたりして、初日から非常に多くの刺激を受けることとなりました。


  2日目に訪れたのは「森の学校」です。この「森の学校」も実は既に知っている団体でした。「山の学校」に出会わなければ、福井県若狭町の「かみなか農楽舎」という所か、この「森の学校(≒トビムシ)」にお世話になるつもりでいたからです。ただ「森の学校」のことも「上山棚田」のことも知っていたわけですが、この2つの先進地があんなにも隣接した場所にあるとは思ってもいませんでした。岡山、恐るべき県です。


  西粟倉村は2004年に美作市との合併を阻み、自立して過疎・少子高齢化に抗う道を選びました。合併構想から離脱したことを契機に、住民との話し合いを通して、西粟倉町がどんな町を目指していくか、そのビジョンを徹底的に話し合ったそうです。心と心をつなぎ価値を生み出していくという「心産業」というコンセプトを大事にしていこうということ。そして、その「心産業」の軸に「森を守っていくこと」、「林業を育てていくこと」を軸に据えることが住民のコンセンサスとして形成されました。 この成果を基盤として、2008年の後半に「百年の森林構想」なるものが掲げられました。「森の学校」の代表である牧大介さんが中心として練り上げた、ため息が出るくらい綿密な事業計画です。これが西粟倉村及び森の学校の取組みの土台となっています。


  まず、この構想の成果として、他セクター同士の役割分担が非常に明確になっているということがあります。例えば、役場に山林を集約させて、その山林を使って一民間事業者がビジネスを、という柔軟さは新宮市では考えられないと思います。連携も非常にスムーズになされているような印象を受けました。 役場、森林組合、それぞれのセクターにそれぞれの役割があるわけですが、その中で「森の学校」は、言わば西粟倉の総合商社的な役割を担い、地域のブランディング、産品のセールス等を行っています。そして、「トビムシ」という、これまた牧さんが代表取締役を勤める会社がファウンディングを行い、外部から資金を集める役割を担っています。「森の学校」が「百年の森林構想」の核であり、その円滑な事業運営のために、他セクター 「森の学校」が生産する商品のショールームや木材の加工場も見学させていただきましたが、「地域は下請けではない」という牧さんの言葉通り、極めてスタイリッシュで高品質な商品が出来あがっていました。最初は全くの素人集団がここまでやったというのですから、やや驚きを隠せない面があります。


  こうした事業展開はやはり会社が事業主体となっているから出来たことなのでしょう。公金頼みで、自分主体で資金繰りを行うという前提がなければ、あそこまで堅実で現実的な行程計画は普通出来ないし、そもそも作ろうとも思わないことでしょう。 ただし、精度の程度こそあれ、最初に団体として、地域として目指すべきビジョンを固めるという作業は、その地の取り組みを一過性の取り組みで終わらせないためにも必要不可欠なものとなってくるだろうな、とつくづく感じました。


  また、「見せ方」の重要性についてもよくよく学ばせていただきました(ニシアワーという森の学校の西粟倉の広報サイトのようなものがあります。それを見ていると西粟倉があたかも桃源郷のような所に思えてくるのですが、実際に行ってみた印象は、旧熊野川町と何ら違いのない日本の一地方だな、という程度のものでした)  3つ目の視察地は島根県邑南町。目当ては「耕すシェフ」という事業です。「上山集楽」で初めてお会いした柴田さんの先輩で有限会社「エコカレッジ」の社長の尾野寛明さんにもご同行いただいての視察となりました。「耕すシェフ」は同町の超やり手公務員である寺本英仁さんが「地域おこし協力隊」という総務省の事業を活用して立ち上げた政策です。邑南町は食による地域振興「A級グルメ立町」を町の重要政策として掲げており、農産物の生産から、加工・料理の仕方、はたまた情報発信まで。食と地域振興の先端モデルの創造を一から担える人材を集め、育てていくのがこの事業の趣旨です。


  その耕すシェフの(シェフとしての)職場となっているのが「素材香房ajikura」というレストランです。このレストラン、町営なのですが、そのクオリティーは圧巻でした。内装極めておしゃれで、コースメニューは1200~2200円という非常に良心的な価格設定です。味も文句なしに美味い(東京の港区でこのレベルのサービスを受けたら、倍以上の値段がするでしょう)。更には店内には、「耕すシェフ」を取り上げた新聞記事の金属プレートが設置され、地元の生産者のインタビュー動画が店内の大きな液晶TVで放映されているなど、町営の施設として町のPR機能も十二分に果たしていました。「6次産業、6次産業っていうけど、平凡なところはジャム作って、それで6次産業って満足してんだよ。でも、そんなんじゃダメだね。1×2×3の6次産業を語るからにはこれくらいのレベルじゃなきゃ」というようなことを尾野さんがおっしゃっていましたが、正しくその通りだと思いました。


  驚くべきは、これを一町役場が、厳密にいえば一町役場の一職員が(尾野さん曰く、町長との阿吽の呼吸でもって上手く成り立っているとのことですが)この事業を手掛けたということです。 地方発のユニークな取り組みは以前からいくつか知っていましたが、その殆どが民間セクターにより手掛けられたものでした。しかし、惰性化している(と私が今まで勝手に思ってきた)基礎自治体単独の試みで邑南町はここまでの事業を手掛けていた。やはり、地方行政といっても一くくりに見てはいけない、「新しい公共」の時代にあっても、本家大本(?)の行政の可能性、できることは大きいなということに改めて気付かされました


 「上山集楽」は市民(NPO)、「森の学校」は事業者(株式会社)、「耕すシェフ」は行政、今回、いわば私は各セクターの先進地帯を見て回ってきたということになります。3者の機能が完フル回転せずとも、どこか1者に元気なところがあれば、こんなにも魅力的なことができるのだということをまざまざと見せつけられたような思いがします。


  その後も島根県川本町にある尾野さんの店舗・オフィスに行ったり、大阪府議会・市議会を傍聴したり、三枝さんのブレーン(?)で人格者の山内さんの「ぷろぼの」を視察させてもらったりと大変充実した視察旅行でした。


  また、(蛇足かもしれませんが)今回の視察旅行は結果的に大変美味しいグルメツアーとなり、初日のホルモン焼きから最終日の「清澄の里 粟」のコースメニューまで始終旨いものを食べ通しでした(個人的な一番は「ミセス・ロビンフッド」という精進料理のお店のランチです。メインはもちろんのこと、添えつけのキャベツにまで、優しい味わいが通底していて、ちょっとした衝撃を覚えました)。

   同時に、本当にありがたいことに、一日も欠かさずお酒をいただくことができました。


  心身ともにエネルギーを充填出来たところで、これを弾みに休学後半戦も全力で駆け抜けたいところです。敷屋村塾という敷屋発の学びあいの場の第一回講師を拝命してしまったのですが、その講義内容を練る上でのヒント、素材もたくさん得ることが出来たように思います


  …今月はこんなところでしょうか。それではまた来月末にお会いしましょう。